被災地支援の最前線〜活動の成果

被災地支援の最前線
2011年から2013年の記録

東日本大震災の1ヵ月後の2011年4月から岩手県釜石市に入り被災者支援活動を開始した。主に釜石市と大槌町で相談業務を行っている。被災地の支援を行うにあたって、「新潟県いのちのケアセンター」から震災後の自殺者数の推移と被災者のこころの変化を事前に情報を得てから被災地に入った。新潟県においては、中越地震(2003年)の翌年は自殺者数が6.2%減少し、翌年は上昇した。また中越沖地震(2007年)の翌年の自殺者数は13.2%減少して翌年は上昇している。岩手県の震災に伴う自殺者数も同様の経過を辿るのではないかと危惧した。3年間、避難所や仮設住宅を訪問して住民と接しながら住民の心の変化を観察して被災者支援活動を行っている。
支援活動は次の4点である。

1.被災した中小企業経営者とその家族の再起を支援する
2.「いのちの総合相談会」の開催
3.行政と連携したシンポジウムの開催
4.「生きる希望と勇気」の相談会開催


〜目次〜




1.中小企業経営者とその家族の相談について

2011年5月〜2004年3月までの3年間で相談を受けた会社及び個人事業者の相談は8件である。地域別には、陸前高田市1件、釜石市6件、大槌町1件である。業種は飲食業1件、小売業3件、サービス業1件、福祉関連業1件魚加工業1件、美容院1件である。8件の相談の主な進捗状況は次のようになっている。

(1) (有)K食品(釜石市)

 相談者 K氏(当時58歳)
震災直後の2011年5月から相談開始。震災前までは従業員は15人規模、売上高1億円規模の惣菜店と弁当屋であった。中心街の弁当店が津波で流出し、背後地にある本店兼加工場の建物が残った。相談者は腎臓病で人工透析を週3回行っている。震災の直後は事業に耐えられない体調であった。長兄が代表取締役であるが、実質の経営権は相談者のKさんにある。震災後に希望を失い事業の進路を見失った。相談のポイントは二点であった。経営規模を売上高1億円規模の会社から2〜3000万円の個人事業の規模に切り替えること。家族の生活が維持できる範囲内まで事業規模を縮小する。2011年8月に弁当店として再生を果たした。商店街が崩壊して地域の弁当店がないことと、もともと経営力がある相談者であったから、復興工事業者を相手に販路を拡大して繁盛店になった。「自分が先頭を切って再生することで地域の経営者に希望を与えたい」と言っていた。専務は透析を続けながら厨房に入って陣頭指揮をとっている。訪問の度に弁当を購入したり、自殺予防民間団体に働きかけて秋田、青森県でのイベント時の冷凍食品の購入を行っている。これからも相談者の体調とこころのケアは必要であるが経営上のアドバイスは必要としなくなった。

(2) S食堂(陸前高田市
 相談者 S氏(当時69歳)
2011年6月から相談開始。震災以前は陸前高田市の中心街で中華料理店、バイパス沿いでラーメン店を経営していた。事業歴は65年である。1999年にバイパス沿いにラーメン店を開業してようやく事業が軌道に乗っていた矢先の震災にあった。二店とも津波に流された。店主は地震の後に崩れた店舗で食器や家財を片付けていて逃げ遅れたが息子の通報で辛うじて一命を取りとめた。借入金の返済が出来ない。店舗開設の目途もつかない状態で相談を開始した。事業歴が長い分だか地域の知名度と信用があった。自家製の製麺技術を持っており外販もできる。創業の原点に返って小規模の店からのスタートを勧めた。2012年6月に中華料理店として開業した。経営権を息子に譲った。本人と奥さんと長男の3人で家族経営を行っている。味がよく暖簾があるため固定客が戻っている。工事業者や地域の客で店は賑わっている。相談者の体調も回復した。これからも時々訪問するが、特別のアドバイスは必要としない。

(3) O旅館(大槌町)

 相談者 K美氏(当時52歳)K子氏(同50歳)
2011年5月から相談開始〜。大槌町の中心市街地で120年続いた老舗の旅館。港に近いために津波の直撃を受けた。震災の直後の火災で旅館は炎上した。震災時にK子さんは盛岡市で入院中の母親の看病をしていた。タクシーで大槌町に駆けつけて街の炎上する状態を目撃した。自宅や町が炎上している姿が目に焼きついて離れない。フラッシュバックがおさまらない時点で相談を開始した。旅館を失った喪失感からうつ状態になっている。顔色は悪く自殺未遂をしていた。事業再生の相談よりもメンタル支援を先行させた。相談の度に主人からK子さんの体調を聞いた。こころと健康状態が極端に悪い。精神の安定と不安定を繰り返している。旅館の再生を焦っていた。自分の代で120年続いた旅館を閉じるのではないかというのが悩みであった。傾聴をしながら、少しずつ事業意欲が戻るのを待った。相談から1年以上経過した2012年8月頃から体調が回復してきた。2012年12月にO旅館「K館」として再生。老舗旅館だけに客層がよい。常連客はマスコミ関係者や大学研究者である。秋田県、青森県の民間団体に被災地訪問の時は小川旅館に宿泊するように呼びかけている。3年経過してもK子さんのフラッシュバックは続いている。今後も経営相談やこころのカウンセリングを継続する必要性を感じている。

(4) Y花(釜石市)
 相談者 T氏(当時46歳)
2013年6月から相談開始。釜石市最大の犠牲地「鵜住居」のプレハブで花屋(Y花)を経営している。鵜住居は沿岸部でも最大規模の犠牲者をだした。鵜住居の犠牲者586人である。地域全体は海に近くで平坦である。高台までの距離が遠い。逃げ遅れた地域住民は近くの防災センターに逃れた。全体の三分の一が防災センターで津波にさらわれた。Tさんの母親も防災センターに避難していて犠牲になった。主人の実家は大槌町にあって被災した。主人はガソリンスタンドの店員があったが職を失って失業中である。相談者は華道の師範免許があることと花が好きなこともあって、防災センターに献花する人を対象にしてプレハブの路面店を開業した。従姉妹に手伝ってもらって二人で営業をしている。売上規模は300万円前後。粗利益率は30〜40%である。自分で店を経営した体験がない。経営の初歩からアドバイスする必要がある。市場規模が小さいことと生花は消耗が激しいので利益の確保が難しい。この売上規模では従姉妹の人件費(月額70,000円)の支払いが出来ない。震災後に夫は働く意欲が無くなって自宅でテレビばかり見ているという。そこで、次のようなアドバイスをした。従姉妹に給料を払えないのであれば、Tさんが一人で経営する店舗に切り替える。配達中の留守番を夫や母親に頼んだらどうか。生花は廃れが激しいので消耗しない手作りキャンドルの販売を提案した。献花の生花にキャンドルで付加価値をつけた。キャンドルは秋田県や青森県の自殺予防団体のイベントで販促を手伝っている。その後に従姉妹は店を辞めて別の職場にパートで働いている。最近になって家族関係に変化があった。夫は大型ダンプ運転手に就職した。また夫の母親は調理師の免許を活用してデイケアセンターで働きだした。家族全体の収入は安定しつつあるが、花屋の経営状態は厳しい。今までの支援者の中では一番難しい相談者である。

2.「いのちの総合相談会」の開催

<1回目>
開催月日:2013年11月1日 午後5時〜9時
11月2日 午前9時〜12時
開催場所:岩手県大槌町 ゆーせつ花
参加団体:NPO法人蜘蛛の糸、
相談者なし。Tさんの事業再生の相談に徹した。

<2回目>
開催月日:2014年2月2日 午前10時〜午後4時
開催場所:岩手県大槌町 吉祥寺
参加団体:NPO法人蜘蛛の糸、秋田こころのネットワーク、ビハーラ秋田(以上秋田県)、ほほえみの会(青森県)、岩手自殺防止センター(岩手県)
参加人員:地元住民 約40人
大槌町住民との3回目の「いのちの総合相談会」である。高橋住職のアドバイスを受けて昨年から音楽療法のボランティア団体を巻き込んで行っている。参加者は60代〜70代の高齢者が多い。音楽療法の効果もあって和やかな相談会である。アロマセラピーやマッサージ、小物作り等のコーナーも設けている。主に自殺予防団体の相談員が被災住民の悩みを傾聴している。個別の相談は別室で行った。
「いのちの総合相談会」はワンストップの相談会である。相談内容はこころの悩み、健康問題、経済問題、職場・家庭の悩み等である。相談員は青森・秋田県の産業カウンセラー、心理相談員、看護師、民生・児童委員や傾聴ボランティア等である。3回目の開催で地域住民に相談会が定着してきた。個別相談は2件であった。

3.被災地支援シンポジウムの開催

開催月日 2014年2月1日 13時〜16時
開催場所 岩手県釜石市大町 青葉ビル
参加団体 NPO法人蜘蛛の糸、秋田こころのネットワーク、ビハーラ秋田(以上秋田県)、ほほえみの会(青森県)、信用生協、岩手自殺防止センター(岩手県)、ソレイユネット(北東北3県連携自殺予防組織)
参加人員 地元住民 約30人
被災地における2回目のシンポジウムである。今回のシンポジウムは、釜石市との連携による「官民学の連携」をキーワードとした。会場の設定は釜石市保健所に依頼。秋田大学佐々木久長准教授の基調講演。佐々木准教授は外部の支援団体が被災者に向き合う場合のこころ構えについて講演した。支援者のTさんが震災時の状況や母親が津波にのまれた時の状況を話した。母親が「助けてくれ」と言って波にさらわれるのを目撃した人がおった。震災後の家族の生計を維持するために花屋を始めた。防災センターが取り壊されて鎮魂の見舞い客も減少していると語った。
後半は、佐々木准教授をコーディネーターとして、釜石地域傾聴ボランティア「はなみずき」代表太田フジ江、陸前高田市「岩手自殺防止センター」代表藤原敏博、大槌町吉祥寺住職高橋英悟の各氏と私の意見交換となった。震災地における仮設住宅での格差問題が提起されていた。高齢者が人知れず孤独死している実態が話された。初めて釜石市の保健師も参加した。会場との活発な意見交換がなされ、行政を巻きこんで住民の意見を聴くことができた有意義なシンポジウムであった。

4.「生きる希望と勇気」の相談会開催

現在秋田県内に避難してきている被災者のメンタル支援として「生きる希望と勇気」の相談会を毎月開催した。昨年から秋田県被災者受入支援室の協力を得て、支援室の連絡便に相談会のチラシを同封して送付してもらっている。連絡便は県内避難者を対象に全戸配布しているため、県内に分散している被災者に対しての啓発ができている。今年度の相談者は面談1人、電話相談1人であった。内容は、避難している兄弟との不和と精神状態の悪さ、仮設住宅の移転方法についてであった。
秋田県に避難してきている被災者は福島県が最も多く、今後避難生活が長期化することが予想される。今年3月に発表された警察庁統計によると、震災関連自殺が昨年に比べて14人増え、38人であった。なかでも福島県は3年間連続で自殺者が増加しており、先が見えない復興への絶望感が自殺者数増加につながっているよう感じる。秋田県内の避難者から自殺者を出さないためにも、被災者に「生きる希望と勇気」を与える相談活動を継続してくことが必要であると感じている。

あきた自殺対策センター 蜘蛛の糸

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