■活動の背景および目的
被災地岩手県の事業者は、現在も再起の道を模索している。また、仮設住宅の住民には、いっこうに進まない復興への不満、住民感情の軋轢、働いている方と無職の方の経済格差等、新たな問題が表面化している。一方、秋田県に避難されている方は、2013年5月1日現在、1245名(約500世帯)を数えている。
本活動の目的は、岩手県において事業者の再起の支援と被災者のこころに寄り添い長期的な支援を継続すること及び秋田県に避難されている方から一人の自殺者も出さないことである。
■2年間の活動内容
【岩手県における支援活動】
2011年4月から2年間にわたり岩手県釜石市に入り、釜石市、陸前高田市、大槌町、山田町で中小企業経営者とその家族の相談に応じた。2年目は中小企業経営者の相談と平行して長期的に支援するための人脈つくりの重点をおいた。被災地における2年目の主な活動は次の3点である。
1.中小企業経営者とその家族の相談について
2011年5月〜2013年3月までの2年間で相談を受けた会社及び個人事業者の数は6件である。地域は陸前高田市1件、釜石市4件、大槌町1件である。業種は飲食業1件、小売業1件、旅館業1件、福祉関連業 1件、魚加工業、美容院が各1件であった。6件の相談者の内で支援によって再生したのは次の3件である。

(1)(有)菅野食品(釜石市)
2011年5月から相談開始
震災前まで年商1億円規模の惣菜店と弁当点の経営者。相談者は(有)菅野食品の専務取締役。兄が社長の同族会社である。従業員は15名規模であった。2店舗経営。津波で中心街の弁当店が流出し、自宅と惣菜工場が残った。相談者は週3回、人工透析を行っている。震災の後遺症があり体調はすこぶる悪い状態で相談を開始した。震災後の事業の進路を見失っていた。震災前の年商1億円規模の事業に復活したい、従業員を早期に採用したいと焦っていた。幸いにも中心商店街の背後に残った惣菜工場の一階を店舗に切り替えて事業再生のアドバイスをした。相談のポイント2点である。会社経営から個人経営に切り替えること。他のひとつは家族だけで再スタートすること。事業規模を縮小し売上げ目標を3000万円規模で、事業の再興を目指す。市民向けや復興工事の工事業者の従業員を客層に弁当店から始めるようにアドバイスした。2011年8月開店。地域に弁当店がないこともあって繁盛店になっている。

(2)小川旅館(大槌町)
2011年5月から相談開始
大槌街の中心地で120年間続いた老舗旅館。港に近いために津波の直撃を受けた。木造建物部分は流出、鉄骨部分は 火災で炎上した。震災時に京子さんは盛岡で母親の看病していた。3月11日の震災直後に盛岡市から自宅までタクシーで駆けつけ、途中から約15キロ歩いて大槌町に辿り着いた。高台のトンネルを抜けて町が炎上している景色に仰天した。フラッシュバックがおさまらない時点で相談を開始した。女将(京子さん)の心配は自分の代で旅館を失うのではないかという不安である。旅館を失った喪失感と仕事がない不安でうつ状態であった。不安と震災の後遺症が抜けず自殺未遂を図った。宿泊者の1人も津波に浚われての行方不明になっていた。お客の顔が忘れられないという。精神不安状態は不安定である。まず、こころを支える必要がある。旅館を再生できる心理状態に回復させるまでメンタル支援を続けた。こころの安定している月と不安定の月を繰り返す。一年以上経過した2012年8月頃から事業意欲が少しづつ立ち上がってきた。2012年12月に小川旅館「絆館」として開業し復興のスタートを切った。老舗旅館なので客層はよい。まだ客数は少ないがマスコミ関係者や学究者の常連客が戻って来ている。今後も京子さんのこころを支援する必要性を感じる。

(3)坂井食堂(陸前高田市)
2011年1月から相談開始
2011年3月11日以前は陸前高田市の繁華街で中華料理店とバイパス沿いでラーメン店を経営していた。平成11年に銀行借入れをして、バイパス沿いのラーメン店を開業。借金が半分になって事業が軌道にのった段階で津波に襲われた。年商は800〜1000万円規模。自家製のブランドのある製麺の技術をもっている。事業暦は65年である。借金が約1800万円である。地震の後に店舗で皿や食器を片付けて逃げ遅れ、危なく命を落とすところであった。震災の直後は再び商売をやろうと思っていたが、時間の経過とともに諦めの気持ちが起っていた。銀行返済の目途もたたない。業歴が長くて地域で信用のある経営者である。事業を再開できる心理が戻るまで「待つ」ことを勧めた。もともと本人、奥さん、長男の家族経営の店である。事業を縮小して家族経営で開業したらどうか。銀行借入れもあるので息子の名前で開業をすすめる。2012年6月開業したと連絡があった。息子に経営権を譲り家族で中華料理店を開業した。開業後も現地を訪れ経営者と家族のこころの支援を行っている。
(4)その他の相談者の近況
グループホームの経営者は自力再生、美容院は廃業、魚加工業者はスーパーの惣菜部門の従業員に就職した。
2.いのちの総合相談会の開催
2013年2月10日、岩手県大槌町で「いのちの総合相談会」を開催した。
場所は大槌町の吉祥寺で行った。秋田・青森県2県の自殺予防民間団体が連携して行った。「いのちの総合相談会」は住民を対象にしたワンストップの相談会である。相談内容はこころの悩み、経済問題の悩み、中小企業経営者の悩み、職場・家庭の悩み等である。相談員は青森・秋田県の大学関係者、産業カウンセラー、心理相談員、看護師、民生・児童委員や傾聴ボランティアである。相談者は約40名であった。吉祥時における相談会は昨年(2012.1.16)に続いて2回目である。被災地における相談は相談拠点の確保が難しい。今後の相談拠点も吉祥寺を活用したい。今後は地元団体が自主的の相談会が出来るように支援したい。
3.北東北3県支援団体の立ち上げ(ソレイユネットの設立)
2013年2月9日、釜石市で「被災地支援シンポジウム」を行った。被災地で支援活動を行っているボランティア団体と秋田・青森県の自殺予防民間団体との意見交換会である。秋田・青森県の民間自殺予防団体は、これまでも釜石市の仮設住宅を訪問して住民相談に応じてきた。個別団体で2年間行ってきた被災者支援を秋田・青森・岩手県の北東北3県が連携して被災者支援活動を行う組織作りを提案した。参加団体は秋田9団体、青森3団体、岩手3団体である。今後は団体の拡大を目指す。各団体の情報交換が主目的であるが、25年度はソレイユネット(フランス語で太陽の意)が主催のシンポジウムを1回、「いのちの総合相談会」を2回行う予定である。
【被災地から秋田県内避難者支援活動】
2011年8月から行った避難者支援活動は2年目に入る。1年目は救援物資の支給とメンタル支援を行った。
秋田市保健所の協力を得て、秋田市災害防災課から避難者へ開催日程を連絡するという形で啓発活動を行った。最初は、避難者にとって当法人の知名度が低い事、避難者自身が県外からの移住で落ち着かないこともあって相談に訪れる人は少なかった。その後、直木賞作家西木正明氏の文化講演会や、秋田市セリオンにて開催した「生きる希望と勇気」シンポジウムで、秋田県の救援物資、神戸「フェリシモ」や地元スーパー「伊徳」などの衣料品の支給を行い避難者への知名度は急速に浸透していった。
2年目はメンタル支援を中心に行った。秋田市保健所の保健師との連携、臨床心理士、弁護士、司法書士、自殺予防民間団体「秋田・こころのネットワーク」との連携、当法人が立ち上げた「生きる希望と勇気のプロジェクト」(30団体)との連携は一年目と同様である。避難者への知名度と信用を高めるために、2年目からは秋田県被災者受け入れ支援室と連携した。啓発活動として支援室からの連絡便に同封して相談会チラシの配布を行っている。24年度の相談会回数は12回である。相談者は2名であった。心理相談員、就職支援アドバイザーが複数回に渡り相談に乗った。相談者の数は少ないが、本支援活動の目的は県内避難者からひとりの自殺者をださないことをミッションにしている。現時点での県内避難者(1281人)は全員無事であることから、本支援活動が一定の目的を達していると思う。
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